もっち脳報告書

独身アラフォー女性の日常と脳内

お葬式に行ってきて思ったこと

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つい先日、お世話になった叔母が亡くなりました。

 

我が家の親戚付き合いの中で最も濃い付き合いのお家での不幸ということで、納棺、通夜、葬儀、火葬、収骨まで参加してきました。

 

今回はそんな中で思ったことを述べようかと思います。

 

亡くなった叔母

 

母の肉親の最後の一人が、亡くなった叔母でした。

 

叔母の結婚相手の従弟に、縁あって妹である母が嫁ぎました。
家同士が車で15分と近かったこともあり、頻繁に会う仲の良い姉妹でした。

 

ここ何年かは母は家で祖母の介護をしており、もともと気が強い祖母に苦労させられた母は結構なストレスだったと思います。
あと父もどこで機嫌が悪くなるか分からないところがあり(暴力などはない)、祖母・父・母の3人で暮らす中での愚痴などを叔母とよく話していたようです。

 

叔母は細くて小さくてとても可愛らしい人でした。
今年の春頃から入院し、自発呼吸もままならない状態でした。
母は毎日、叔母の旦那さんと時間を交代しながら病室に行き叔母に話かけていたそうです。

 

亡くなる前日から意識がなかったようで、苦しまずに逝けたのではないかと思います。
訃報を聞いてから収骨まで終えて、あぁ、私はこの叔母がすごく好きだったんだなとあらためて思いました。

 

個人の宗教と家の宗教

 

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亡くなった叔母とその妹である私の母はキリスト教徒です。
これを知ったのは確か私が大学生の頃。

 

遊びに来た母がたまたま近くにあった教会に寄りたいと言い、その時に聞いたのだと思います。
自分は元々キリスト教徒だということ、だから父といるのが辛いことがあっても離婚はできないこと。

 

私の実家の地域は本当に田舎で、一番近くの教会は車で40分以上離れた隣の市になると思います。
母はそれまでキリスト教徒のそぶりは全く見せませんでした。
田舎に嫁いだ時点で、色々諦めていたのだと思います。

 

母と同じキリスト教系の学校に行っていた叔母も、やはりキリスト教徒だったそうです。

でもね、私の地元も叔母の家の地域も、こんな田舎にはほとんど仏教徒しかいないんですよ。教会だって簡単には行けない。
お葬式も、家の宗教で執り行います。

 

叔母は、本当はどうして欲しかったのかな。
母は、自分の時はどうして欲しいのかな。
まだ早いとは思うけど、母の気持ちを一度聞いてみなければと思っています。

 

叔母については、生前に旦那さんとお寺の行事に参加し、名前を頂いていたそう。
これはきっと旦那さんに寄り沿って生きようとしたから。
仏教式の葬儀もきっと納得はしているでしょう。

 

でも、どうか信じる神様の元へ行けていますように。

 

キリスト教浄土真宗と浄土宗

 

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叔母が信仰していたキリスト教、叔母の葬儀を執り行った浄土真宗、そして我が家の浄土宗について、どんな違いがあるのか少しだけ調べてみました。
キリスト教はおそらくカトリックなのでそちらで。

 

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日本のカトリックは通夜的なものもあるようです。
そして恐らくどちらも棺に生花を入れます。

 

ちなみに・・・浄土真宗と浄土宗、似てるようでちょっと違います。


私の経験した浄土真宗のお通夜では、今回含め2回とも参列者が一斉にお経を唱え、歌を歌いました。
これは普通なのかな?
回りはとても自然にお経も歌も参加してて、私は分からなくて戸惑いました。
※地域的にほぼ浄土真宗で一部が浄土宗のようです

 

あとお数珠も違う。
浄土真宗は一連の数珠で、浄土宗は二連の数珠を使います。
他にも細かい違いはあるようですが割愛します。

たぶん家の宗教というのは誰もが持っていると思うけど、私のように深い信仰ではない人も多いですよね。

 

そんな場合は何の疑問もなく家の宗教による葬儀でいいと思います。
でも、本人と嫁ぎ先の宗教が違う場合は・・・できれば話し合いをしておいて納得いく形の最期になるといいな、と思いました。

 

葬儀の意味とは

 

葬儀の意味は、たぶん故人とのお別れの儀式、で合ってると思うのですが。
今回、葬儀の流れとともに感じた個人的な思いがあります。

 

叔母の体が見えているうちは、悲しみばかりでした。
でもね、火葬が終わって肉体がなくなると少し気持ちが変わったんです。

 

もういないんだな、と腑に落ちた感じです。

 

肉体があると、亡くなったけどまだそこに居る、と思ってしまう。
火葬というのは、残された人の心を少し軽くしてくれる儀式なのかもしれないと思います。

 

気持ちの変化もありました

 

身近な人を亡くして、自分の気持ちにも少し変化がありました。

 

一番に感じたのは、親が困ったときにはすぐに駆け付けたい、ということ。


そのためには身近に住むのが一番なんですが、何を思ったか突然上京してしまった私・・・。
でも正直、東京の方が住みやすい。
人に煩わされることが少ないので、心が楽。

 

住むのはこちらがいいけど親の近くにもいたい・・・難しいですね。
これについては、身軽に行き来できるようにすることで解決を図りたいと思います。

 

もう一つ思ったのが、親を安心させてあげたい、ということ。

亡くなった叔母には子供が2人。
どちらも結婚して子供がいて(お兄さんは離婚寸前だけど)、きっとそこは安心できたと思います。


ちなみに上のお兄さんは前妻さんの連れ子。
叔母の血を引くのは妹さんのみ。
叔母の血脈は、ちゃんと繋がってる。
でも1本だけの細い糸だ、と感じました。


我が家は祖母と両親が健在で、子供は姉と私の二人。


40過ぎて姉妹2人とも結婚してない・・・これは不安だろうな。
親が亡くなる時は私たちの心配をしないで済むように、やはりできれば結婚したいな。


結婚願望をあまり感じていないまま生きてきたけど、ここで方針転換すべきかもしれません。
正直一人で生きるのも不安だし、誰かに支えてほしい時もある。

 

そして最後の一つ。
さっきと被る気もしますが、お墓を守っていく存在が欲しいということ。

 

遠からずお墓に入るであろう祖母、そしてきっと私よりは早く入るであろう両親。
自分がその中で育ってきた『家族』が墓に入るのであれば、自分がいなくなった時に誰かにその墓を見ていってほしい。
祖母が、両親が、そこに眠ったまま放置されるのは嫌だ。


特別なことはいらないんです。たまにお墓参りをするだけでいい。
そう思うと、子供がいることって大事だなと思います。
面倒かもしれないけど、きっとたまにはお墓参りしてくれるはず。

最悪、自分が子孫を繋げなかった場合には、何とかお寺さんに供養していってもらいたい。
そのためには何が必要なんだろう。
まだ先のことだけど、それも考えないといけない。

 

身近な人が亡くなったことで、色々なことを考えました。
もしものその時に、できるだけ後悔がないよう、生きていかなければですね。