もっち脳報告書

独身アラフォー女性の日常と脳内

祖母が亡くなりました。


お久しぶりです。もっちです。
なんか久しぶりに吐き出したくなってブログを開いてたところ・・・2年触ってなかった。
時間が経つのは早いものです。正直ブログの作り方が思い出せない・・・

 

ま、このブログは私が自分の気持ちを吐き出したり整理したりするために立ち上げたので良いとしましょう。

 

祖母が亡くなりました。

 

そう、表題の通りです。
うちの祖母が亡くなりました。今月(2022年6月)。

 

生まれた時からずっと一緒に暮らしていた同居の祖母です。
享年98歳だから、大往生。一般的には。

 

大学入学時から住むところは離れ、さらには2017年に東京へ引越してからはさらに会う機会が減り、2020年の世界的な新型コロナウィルス大流行からはさらにさらに会う機会が減っていました。

 

そんな中、90も後半を迎えいつどうなってもおかしくはない、とできるだけ会う時間を作るようにしていました。
今年も何とか新年には帰省し、顔を見て話すことができていました。
GWも帰省したけど・・・数日前に祖母は入院(圧迫骨折が原因)してしまい会えず仕舞いでした。

もうね、このコロナ禍ではね、病院や介護施設に入所しちゃうと会えないんですよ。。
お見舞いとかもね、できないんですよ。。

 

祖母は年もあり、少し認知症の症状が出ていました。
それでも会いに行けば名前を呼んでくれ、何かと心配してくれていました。
でも夜中もかまわず起きてトイレに行きたがり叫んだりして母は大変な思いで介護をしていました。
(祖母が施設入所を嫌がっていたので、限界まで自宅でみようという覚悟だったそうです)

 

この高齢で入院してしまうと、もう足腰がダメになっちゃんですよね。
なので退院できたら、どこか施設への入所を目指していくという話になっていました。

 

そんな中、どうやら入院からしばらくして祖母は意識を失っていたそうです。
意識がないから薬も飲めない。薬が飲めないと悪い部分が色々でてくる。
そして亡くなるに至ったようです。

 

死因は「腹部大動脈瘤破裂」でした。
かなり痛いものらしいですが、意識を失っていたためかその様子はなかったという話。それだけが救いです。

 

祖母は気の強い人で、人を使おうとするところもありよく父や私とぶつかっていました。ひどいものではないですが。日常的なやつ。
高齢になってからはおとなしくなりましたが、会えばしょっちゅう「いい人はいないのか」「誰かいい人がいたら結婚しろ」としつこく言われました。
まぁ心配だったんでしょうね。心配かけてごめんね。

 

会う頻度も減り、距離感も離れていって、祖母のことは大事だったけど亡くなってもあまりショックは受けないかもしれない。
家族の中で私が一番ダメージが少ないかもしれない。
そう思っていました。

 

でもね、そうでもなかった。
自分で思ってた以上にダメージ、あったみたいです。
とは言え心の準備は多少できていたので、訃報を聞いて少し泣きましたが、その後は冷静に帰省準備をして実家へ帰ったのです。

 

やっぱり顔を見ると、勝手に涙って出てくるんですね。
綺麗にお化粧してもらって、とても血色よい顔で、すぐに目を覚ましそうでした。
「やっと会えたね」って思ったら、泣けちゃって・・・
って書きながらまた泣いてしまうという・・・

 

平静な心と、何かの瞬間に揺れて泣いてしまう心が、なんか自分の中で共存してるんですね。不思議な感じ。

 

帰省して仮通夜、通夜、葬儀、火葬が終わって東京へ戻って、もう2週間以上経ってるんですけどね。
その間、平静な自分と泣いてしまう自分が入り乱れていました。

 

GWの連休を待たずに土日に帰ってたら、亡くなる1か月前くらに会えてたのに、とか。
湯船に浸かっていたら「入院中、お風呂に浸かれなかったんだろうな」「お風呂に入れてあげたかったな」とか。
「亡くなる時、一人は怖いよね。手を握っていてあげたかった」とか。
「おばあちゃんが一人死んでも世の中は何も変わらず進むんだな」とか。
「もう帰省してもおばあちゃんには会えないのか」とか。
ふと思うたびに勝手に泣けてきてしまう不思議。

 

心が痙攣してる、と感じます。
思いもよらず勝手に動いてしまう。

 

でもなんかそのたびに、ちゃんとおばあちゃんが亡くなって悲しめている自分に少し安心しています。
おばあちゃんがかけてくれた愛情が、ちゃんと私の中には残っていて、その部分が悲しがっているんだなと感じて、もらった愛情が自分の中に今もあったということに安心します。

 

そして祖母が亡くなって、私の中で一つ強く動き出したものがありました。
それはまた今度。
そんな大事じゃないんですけどね。