一回音楽から離れてみることにした
もっちです。
私、音楽のこともこのブログに書こうと思ってたけど全く書いてなかったです。
なぜかというと・・・何かいろいろモヤモヤしてたから。
この度、一度音楽から離れようと思ったので、その思いに至る流れについて、つらつら書いていこうと思います。
きっと誰の役にも立たないな!笑
私の音楽とは、歌うことである
さて。遡りましょうか。
私が音楽というものを強く認識したのは、保育園の頃でした。
この頃にはすでに歌うのが大好きな子供だった。
でね、たぶんお誕生日会(近い誕生日の子を何人かまとめてやってた気がする)で将来の夢を発表するわけですよ。
その時すでに「歌手になりたい」と思っていた。
でも歌手には簡単になれないこともわかっていた。
だから、歌手になれないかもしれないから、宣言するのが恥ずかしくて「お花屋さんになりたい」と言った。
このことをかなり鮮烈に覚えています。
小学校時代は音楽の授業がとにかく好きで、歌うことが楽しみだった。
集会での校歌斉唱の時間も歌えるから大好きだった。
4年生からピアノを習い出した。でも手で楽器を弾くことより、歌うことが好きだった。
中学、高校と音楽の授業で歌うことが楽しみだった。
この頃には友達とカラオケに行くのも好きだった。
高校時代、バンドに憧れもあったけど、あまりに田舎すぎて知識がなさすぎてどうやればそういう活動ができるか見当もつかなかった。
大学に入り、軽音楽部に入ろうと決心。
でも人見知りが激しく友達も作れなかった私は1年目を見送った。
そして2年目、ようやく気持ちを強くもって軽音楽部に入部。
念願のボーカリストとなれました。
大学在学中には軽音楽部内でコピーバンドを組み、大学外ではオリジナル曲のバンドを組み、たくさん歌った。楽しかった。
卒業した頃、いったんバンドを辞めて何もしてなかったけど歌えないことに耐えられずやはりバンドを組んで歌った。
何年かしてバンド解散した後はそれまでのロック系とはかけ離れた、アコースティック系もやった。
これはこれで歌そのものにじっくり取り組めて楽しかった。
その活動も落ち着き、35歳頃、もうそろそろ私が歌える場所はなくなってきたのかな?と思った。
その頃に今組んでる相方さんと出会い、そこで歌うようになった。
その後いろいろあり、3年前に上京し、今までにないペースで音楽活動を始めたわけです。
ちなみにそのペースは
・基本的に毎週路上ライブ
・月に2~4回のライブハウスでのライブ
でもこれがきつくて今年はちょっとゆるめてもらってました。
その代わりライブ配信が増えて
・基本的に月に2回の路上ライブ
・月に2~3回のライブハウスでのライブ
・基本的に毎週のライブ配信
これに場合によっては平日週に2回くらい、仕事終わりからのレコーディングなどもあるわけです。
なんかいろいろ限界です
なんかね、今ね、歌うのが楽しいかどうか分からない。
好きなのかどうかが分からない。
おかしいな・・・あんなに好きで好きで仕方がなかったのにな。
最近は気持ちも身体も、なんだかすごくしんどいんです。
実際今年は体調不良が多かった。ちなみに去年は喉の不調がすごく多かった。
決断するに至った理由としては
① 身体がしんどい
② 気持ちがしんどい
③ 相方さんといるのがしんどい
の3つになります。
①身体がしんどい、について。
前にも記事にしましたが、私が1日で自由に使える時間は3時間。
これは特別短くもなさそう。
とは言え、基本的に考えるのも動くのもゆっくり目の私にはカツカツの時間です。
ご飯食べてお風呂入って翌日のお弁当の準備して・・・で終わり。
むしろそれすらできてない。
(音楽活動で毎月赤字なのでお弁当はできるだけ用意したい)
この平日夜にレコーディングが入ると・・・完全に睡眠不足。
そこから引き起こされる喉の不調(寝ないと声が出なくなるタイプ)。
そして倦怠感も取れない。
土日は音楽で予定が入っていることが多く、ライブハウス出演時にはリハや移動時間を考えると午前中から動いて帰宅が0時を過ぎるとかザラ。
土日両日ともライブすることもある。
夕方からの路上ライブも私は後に予定が入っていると落ち着けないタイプだから昼くらいからずっと緊張してる。
重い荷物を持ってあっち行ったりこっち行ったり。帰宅はこれも0時過ぎが多い。
料理なんてしてる暇ないよ。
時間空いたら横になってるよ。
何もする気が起きないんだよ。
だから栄養不足なんて言われるんだな。(鍼灸の先生に言われた)
そして体調が崩れていくんだ。
② 気持ちがしんどい、について。
先日叔母が亡くなりました。叔母は母の姉。
つまり、母も亡くなったっておかしくない年代になってきた。
弱っている母を見て、もっと会いに行きたいと思った。
祖母だって90歳を過ぎてる。いつ亡くなってもおかしくない。
勝手に上京した私だけど、家族は大事に思っています。
今の音楽活動のやり方だと、ほぼ毎週土日に予定が入ってる。
会いに行きたいのに会いに行けない。
死んだらもう会えないんだよ。。。
③ 相方さんといるのがしんどい、について。
相方さんは男性で、すごくきっちりしてる人。
自分でやると決めたら自分をそれに沿わせることが出来る人。
そして自分に厳しく、他人に厳しい。
尊敬できる部分はすごく多い。
でもね、利己的なところもかなり多いと思うんだよ。
最初の頃、毎週路上ライブをやってて。
もちろん私は体調を崩すこともあったし風邪を引いて声を出すのが辛いこともあった。
それでも「体調管理もできないのは困る」とか「プロは調子悪くても休まない」とか。
とにかく休むことに否定的。
どうしてもきつくて休んだ時にはイラついてるのが分かる。
自分がやりたかったことが私のせいでできなかったから。
一度私がキレてからは多少気遣うようになったけど、本心からじゃないのは透けて見えてるよ?とりあえず言ってるだけだよね。
本当は自分のやりたいようにできないことに苛立ってるよね。
そもそも相方さんはめったに体調崩さない。強いんだね。
それもあって私がどうしてこんなに体調崩すのか、きっと理解不能なんだろう。
毎月固定で借りてるスタジオ、私が半額出してるけど、活動の荷物置きたいって言ったら「荷物あんまり置きたくない」だって。
あなたの荷物だらけだよ?
そこに置いてある相方さんの私物、「触られたくない」だって。
じゃあ持って帰れよ。
半額出したって結局あなたの部屋じゃん。
手分けしてレコード会社に音源送ろうと決めて、私が自分の分担を終わらせたことがあった。
後は相方さんが音源を少し準備をすれば動けたのに、それを1年は放置してる。
なのにそれと同じような効果があることを(でも作業としては全く別のことを)、私に「やっといて」って何だ。何だよそれ。
お客さんがあまりついてない私たち、こんなに頻繁にライブする必要があるかと聞いたことがある。お金もかかるしね。
そしたら「いつ音源を聞いてくれた業界関係者が見にくるか分からないから、頻繁にライブ予定は入れておきたい」だって。
そもそも業界関係者に気づいてもらえるようなことしてないよね。
音源送れてないじゃん。。。
ライブハウスへ向かう道すがら、私が3つ荷物を抱えてて相方さんは1つで。
軽いのを差し出して「1つ持てる?」って聞いた時、ボソっと「鬼か」と言ったの、聞こえてるよ。
むしろいつも私がたくさん手荷物を持ってると思うんだけど?
つい先日足を痛めて移動がきつかった時、向こうから「荷物持とうか」と言ってきた。
「ありがとう」と渡したけど、その後に「甘やかして癖になっても困るな・・・」とか言ってた。
何だそれ。
私はペット扱い? それとも言うこときかない子供?
そもそも私から頼んでないし。
いつも嫌がるの分かってるから辛くても自分から言ってないし。
なんかね、今までけっこう我慢してきたけどね、私が悪い部分もたくさんあるけどね、あなたといるのがしんどい。
しんどいんだよ。
たぶん、音楽は、歌うことは、好きなままのはず
相方さんから離れようと思いました。
そして音楽活動を一回完全に停止して、自分のために時間を使ってみようと思ってます。
今は心が麻痺してるけど、音楽も、歌うのも、好きなはず。
だから、また歌いたくなったら、今度は自分のペースでやりたいなって思うんです。
今までは相方さんに引っ張ってもらうばかりだったからね。
引っ張ってもらったこととか、この活動で出会えたイベンターさんとかバンドさんたちとか、いい経験もたくさんさせてもらった。
だから感謝しているのです。
でもね、ここでいったん、休ませてほしい。
自分勝手でごめんなさい。
今までたくさん、ありがとう。
これを何とか、今週末に伝えたいと思います。
(言うのが怖い・・・)